2019年11月29日金曜日

教科書に載らないソフトウェア開発入門 (インターフェースを切る事と実現可能なソフトウェア規模についての話)

どうやったらもっとまともにソフトウェアを書くことができるようになるのか?

僕も若い頃、いや、まだ若いんだけど、本当にどうやってソフトウェアを書いてゆけば良いのかわからなくて、とにかくダラダラダラダラダラダラダラダラ「きっとやらなくてはいけない処理」を羅列したものだった。それも膨大な量のコードを。

・・・と書こうと思ったのだが、実は自分自身はそうではなかった。

以前書いた「アセンブラでこんなに美しく書ける方がいるんだ!」という純粋な感動体験が完全に邪魔をして、職業でソフトウェアを書く時に美しさに何かの美学を見出していた若かりし自分は、とにかくいかに美しく問題を解決するのか?についてひたすら毎日考えていた。このおかげで、人よりも余計な苦労をしなくてはならなかったのと、まだ若かった自分には設計や実装に関する知恵も知識もなかった上に余計なことに思慮を巡らせるものだからとにかく時間がかかっていた。本当にあれは今でも周囲にとっては単なる迷惑な新人だっただろうと想像できる。


新しくソフトウェアを書こうと思う人にとっての最初の疑問は、どうやったらもっとまともにソフトウェアを書くことができるようになるのか?ということかもしれない。少なくとも自分はそうだった。

インターフェースを切れるようになること

「どうやったらもっとまともにソフトウェアを書くことができるようになるのか?」という疑問に対する答えのひとつは「インターフェースを切れるようになること」だ。

「インターフェースを切る」というのは、つまり、対象物が何であるのか、というのと、それをどうするのか、という二つの事を分析して理解した上で、使う側と使われる側の双方の立場で物事を考えなければならない。この分析を経てようやく何かのインターフェースを策定できるようになる。


この分析から理解、理解から策定に至るまでの道筋を立てられるようになると、インターフェースを切れるようになってくるのだけど、インターフェースが切れるようになってくると、大きな設計対象物でもそれらを部分に分割し、適切な階層構造を構築できるようになる。適切な階層構造を構築できるようになると、全体も部分もそれぞれの粒度で理解できるようになる。そして、階層構造で設計対象物を見れるようになることでソフトウェアの全体構造を見る視点が養われる。つまり、この時点で規模の大きなソフトウェアを実現できるようになってくるんだ!

この段階に入ってくると、設計対象物を様々な見方で分析して理解できるようになってくる。データの流れで全体構造を見たり、論理的な階層構造から全体構造を見たりすると楽しいものなんだ。そして、何よりも大切なのは、楽しいと自分がやりたくなるっていうこと。苦労だけすれば良いってものではないからね。


つまり、インターフェースを切るということは、全体を部分に分割するのに必要不可欠で、分割することで大きな規模のソフトウェアも実現できる。それだけではなく、全体を部分に分割する中で、関係のあるものと関係のないものを分離することが可能になり、よりソフトウェアが洗練される。例えば、何かのソフトウェアを書いていて「この処理は他でも使えるな」という処理があったとする。そういう処理は一度書いておけばどんどん使えるネタとして持っておくことができるようになるんだ。

インターフェースを切っていると出来る芸当もあって、インターフェースを切っていることで、何かの変更が必要になった時にコンパイラに助けてもらうこともできる。

例えば、インターフェースに新しい機能を追加したくなったとする。インターフェースの定義を変更するだけで、そのインターフェースを使っている上位層をあぶりだすことができるんだ。だって、変更して形の変わったインターフェースを使おうとしている上位のコードは、必ずコンパイルエラーになるでしょ?

こんな風に、インターフェースを切るという話を始めただけでも、色々な側面の話が出てくるってこと。頭の片隅にあっても良いかもしれない。

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