2012年8月1日水曜日

パッケージングの事とかその思考過程とか

今日は少し感じを変えて、パッケージングの事とかその思考過程について触れてみようと思う。
今回の投稿は坂井さんの「技術系の個人活動ってこういうのが大切なんじゃないかなあとぼくが勝手におもっている4つのこと」にかなり影響を受けている。

電気式炊飯器

僕自身、昔は暇さえあれば電気屋に足を運んで色々な製品やパッケージを舐めるように眺めていたのだけど、そういえばそんな時に自分は何を見ていたんだ?と改めて考えてみると、機能とかそれそのものがどうとかそういう事ではなくて、単に目の前にあるものの質感だったり、違和感がある箇所が無いかとか、そういうことを探していたように思う。

本来どうあるべきか?とかそんな難しい事は考えないで、「これは気持ち良い」とか「この箇所のこういうところが好き」とかそんな分類を自分の中で繰り返し行なっていた。
だから電気屋に行くと、だいたいいつも同じようなコースを辿って2時間くらいすると出てくるっていうパターンだった。

まだガスでお米を炊く装置なんかもあった時代の電気式炊飯器とかは、結構「マイコン使ってます」って感じのインターフェースで子供心に少しワクワクした。その頃は7セグメントLEDなんかが付いているだけでも「すっげー!」って感じたんだよ。粗大ごみの日なんて、炊飯器が落ちてたら拾って分解してたもんね。もう完全に制御基板とかお宝状態だったもん。もちろんその頃は「どうやったら7セグメントLEDって光るんだろう」とかそんな小学生だったけど。


ワクワクするようなアイデア

今、これだけ多くのテクノロジが急速に広まっていく中で、どうやったら昔味わったようなワクワクに出会えるかというと、これが少し難しくて中々そういう感覚に陥る事ができない。
もう沢山の人が優れたアイデアを試してしまっているし、そういったアイデアはもう十分に世の中に広まって「あたかも当たり前」になっている。

じゃあ、そんな中で何もする事がないかというとそうでもなくて、世の中で優れたアイデアを生み出してきた人達の思考過程を探索したり、自分ならどうなっちゃうんだろう?と試してみるという手もある。

CuBeatSystemsというのは、現在のところ会社でもないし、何でもないのだけど、最近は「普通の人が明かそうとしない思考過程を共有するのが仕事なんじゃないか?」と考えるようになっている。
思考過程を明かしてしまうと、それは手品師の仕込みをオープンにしているのと一緒で、思考過程の結果得られる成果物の相対的価値を下げる可能性があるし、そういう事を普通はみんな望まない。

どうしてあえてそんな事をやっているのか?と聞かれると微妙で、そうしたくてそうしているわけではないように思う。言い回しが難しいけど、あえて言うなら、「世の中は持ちつ持たれつで成り立っている」ということかもしれない。

ただ単に誰かのアイデアを持ってきて何かをしている人というのは、僕は個人的にあまり関心しない。「この人は凄いなぁ」という人は、必ずその人でなければ出てこないようなアイデアを持っていて、それが世の中の人に新しいアイデアや刺激をもたらすからこそ魅力的に見える。それらは真似してできるようなことではないし、一見簡単そうでも自分なら着想しない可能性が高い。

そして、そういう凄いなぁと感じさせる人達は、往々にして他人に対してとても大らかだったり、敷居が低かったりして、それがまた彼らを魅力的に見せる。僕は時折こういった「技術的な事と一見関係のない物事」にとても興味を持つのだけど、近年出会った沢山の優れたエンジニアに共通するのは、何かそういう持ちつ持たれつの感覚を持っている人という事かもしれない。ここでは具体的に誰だとかどのブログだとかそういう事は書かないけれど、彼らのブログには多くの示唆に富んでいて、純粋に見て、読んで、眺めて楽しい。


パッケージングとクリエイティビィティ

話は主題の(そしてまだ何も書いていない)パッケージの事に戻るのだけど、パッケージングというのは単に製品を良く見せたいとかっていう事では無くて、「僕はこう考えました」とか「私はこう考えています」とか、そういう事を表現する一番身近な存在なんだと考えるようになった。

実際に、最近のモノ作りはコストコストコストでこうやって繰り返して書くとコストコ、コストコみたいになってしまうけど、そんな風にして「自分達は一体何をしたいんだっけ?」っていう状態になっている。
確かに「良い物を他より安く作る」事はそれその物を売るために必要な要素かもしれないけど、必ずしもそうでなくてはいけないというわけではない。

明らかに他よりもべらぼうに高い製品だって、世の中には沢山ある。
で、そのメーカが売れずに潰れているかというとそんな事はない。
きちんと顧客を持っていて、常にその顧客がメーカの製品を支持している。

ざっくり言うと、安くないといけない場合というのは、他の物と何も変わらない時に限られる。
そういう物は、先に書いた「その人でなければ出てこないようなアイデア」がその物にない事が多く、必然的に他と変わらないから安い方が良いという事になる。

クリエイティブな人達が本当にやりたいのは、安く作るでもなく、安く売るでもなく、沢山売るでもなく、本当は自分が納得する物を作るという事だと思う。
それは度が過ぎれば全く続かない事は過去の歴史が証明しているし、失敗した例は山ほどあるけど、それでもその歴史に少しだけ抵抗して理想的な状態を考えてみる。
そんな少しの抵抗が製品が市場に受け入れられるかそうでないかの境目ではないかと考えているところだ。

パッケージングで何かを表現するという意図は無いにせよ、それを手に取った人のニヤリとする顔を考えてみるとか、誰かが「おぉ!」と思うような瞬間を考えてみるとか、そういう普段と違う頭の使い方をする事こそが、もしかしたらモノ作りには必要な事かもしれない。

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